私が悪いと思っていた

マヤ暦

私はずっと、

自分に原因があるんだと思っていました。

だから、

変わろうとしていました。

中学生の頃は、

目立つからいじめられるんだと思っていました。

だから、

できるだけ目立たないようにした。

前に出ないようにした。

できることも、

できないふりをした。

でも、

変わりませんでした。

社会人になってからも同じでした。

今度は、

「私の仕事のやり方や振る舞い方が悪いのかもしれない」

と思いました。

だから、

転職するたびに改善したんです。

前の職場で言われたことを反省して、

次は気をつける。

人との距離感も考える。

言い方も気をつける。

空気も読む。

そうやって、

同じことを繰り返さないように努力していました。

でも、

何をどう変えても、

また同じようなことが起きる。

そのうち私は、

「じゃあ私は何を直せばいいの?」

と思うようになりました。

目立たないようにしてもダメ。

気を使ってもダメ。

空気を読んでもダメ。

仕事のやり方を変えてもダメ。

私は本気で、

「私の何がいけないんだろう」

と思っていたんです。

そんな時、

偶然耳にした言葉がありました。

ヤンキー先生こと義家弘介さんの、

「いじめた側が100%悪い」

という言葉です。

最初は驚きました。

だって私は、

ずっと

「いじめられる私にも原因がある」

と思っていたからです。

私は、

いじめられるのは嫌でした。

本当に嫌でした。

でも、

だからといって、

誰かをいじめる側にはなりたくなかった。

周りから

「あの人を無視しよう」

と言われても、

私はできませんでした。

すると今度は、

私がターゲットになる。

そんなこともありました。

それでも、

その信念だけは曲げませんでした。

だから義家さんの言葉を聞いた時、

「私は間違っていなかったんだ」

と思えたんです。

人をいじめない。

いじめに加担しない。

その信念を持ち続けてよかった。

そう思えました。

でも、

それでも私はまだ、

自分を変えようとしていました。

もっと目立たない人になろう。

もっと空気を読める人になろう。

もっと妬まれない人になろう。

そう思っていたんです。

そんな私が変わったのは、

マヤ暦と出会ってからでした。

マヤ暦を学んで、

私は初めて知りました。

目立つことも。

気を使うことも。

違和感に敏感なことも。

人と少し感覚が違うことも。

全部、

「直さなければいけない欠点」

ではなかったんだと。

その時、

初めて思えたんです。

「私は変わらなくてよかったんだ」

と。

もちろん、

人として成長することは大切です。

反省することもあるし、

改善した方がいいこともある。

でも、

自分の性質まで否定しなくていい。

自分らしさまで消さなくていい。

私はずっと、

自分を変えることで問題を解決しようとしていました。

でも本当に必要だったのは、

自分を変えることではなく、

自分を知ることだったのかもしれません。

今でも、

人からどう思われるか気になることはあります。

でも、

昔のように

「全部私が悪い」

とは思わなくなりました。

そして私はこれからも、

人をいじめる側にはなりたくありません。

たとえ自分が嫌な思いをしても、

その信念だけは大切にしていきたいと思っています。

我慢が足りないと思っていた

コメント

タイトルとURLをコピーしました